今から約10年前。私は仕事の都合で、静岡県富士宮市に3ヶ月ほど滞在していました。
見上げるほどに雄大な富士山が、すぐそこに鎮座する街。慣れない土地、慣れない環境での仕事はそれなりにハードで、当時の私は毎日のようにクタクタになっていました。そんな私にとって唯一の癒やしであり、毎日の楽しみになっていたのが、仕事終わりにふらりと暖簾をくぐる、富士宮の地元の居酒屋巡りでした。
■ 静岡のイメージを覆す、ド直球の一杯
静岡の日本酒といえば、全国的には「きれいで優しい淡麗辛口」が主流として知られています。その夜、居酒屋のカウンターで「地元のおすすめを」と頼んだ私に、店主が「それなら、これなんてどう?」と不敵な笑みを浮かべて一升瓶を出してくれました。

それが、富士宮の地で天保元年から酒造りを続ける「富士高砂酒造」の**『山廃 純米無濾過生原酒(やまはいじゅんまい むろかなまげんしゅ)』**でした。
「山廃」に「純米」、「無濾過」、そして「生原酒」。当時の私にとっては、少し専門用語が並ぶそのラベルを見つめながら、まずは一口、グラスを傾けました。
「……えっ、これが日本酒!?」
その瞬間の衝撃を、10年経った今でも私は鮮明に思い出すことができます。
口に含んだ瞬間に弾けたのは、もぎたての果実のような、圧倒的にフレッシュでジューシーな香り。そして、トロリとしたお米の濃密な旨味とコクが、ガツンとダイレクトに味覚を刺激してきました。それまで私が持っていた「日本酒=すっきり、またはピリッと辛い」という固定観念が、良い意味で完膚なきまでに破壊された瞬間でした。
■ なぜ、これほどまでに心が震えたのか
あとから知ったことですが、この「高砂」の山廃純米無濾過生原酒には、飲む者を魅了してやまない確かな理由がありました。
ひとつは、富士宮という土地がもたらす**「超軟水」の仕込み水**。富士山の雪解け水が100年もの歳月をかけて湧き出た伏流水は、驚くほどまろやかです。だからこそ、原酒ならではの力強いアタックがあるのに、喉を通る瞬間はどこまでも優しく、すっと身体に染み込んでいきます。
そしてもうひとつが、静岡県内では極めて珍しい**伝統の「山廃仕込み」**です。自然の乳酸菌をじっくりと育てるこの製法が、お酒に奥深いコクと、絶妙なアクセントとなる力強い「酸味」をプラスしていました。
水を加えない(原酒)、ろ過しない(無濾過)、熱を入れない(生)。蔵人がタンクから直接注いでくれたかのような、生まれたてのエネルギーに満ちたその液体に、私は一瞬で恋に落ちてしまったのです。
■ あの3ヶ月が変えた、私の「生酒沼」への道
それからの滞在期間は、もはや仕事をしにいったのか、「高砂」を筆頭とする生酒の沼にディープダイブしにいったのか分からないほどでした(笑)。
あの出会いをきっかけに、私は完全に「生酒派」へと転向。火入れをしていない日本酒が持つ、生き生きとしたフレッシュさ、刻一刻と変化する繊細な味わいの虜になり、休日のたびに地元の酒屋を巡っては、新しい生酒との出会いを探すようになりました。私の日本酒史は、間違いなくあの富士宮の夜から「第二章」が始まったのです。
10年という月日が流れ、生活の舞台が変わった今でも、酒屋の冷蔵卸しで「高砂」の文字を見かけると、胸がキュッと高鳴ります。
あの富士宮の冷涼で澄んだ空気。仕事帰りに見上げた夜の富士山のシルエット。そして、疲れた身体を包み込んでくれた、あのドロリと濃厚で、どこまでも優しい山廃生原酒の味わい。
私にとって「高砂」は、単に美味しい日本酒というだけでなく、あのひたむきに働いていた3ヶ月間の記憶をいつでも鮮やかに蘇らせてくれる、人生の大切なタイムカプセルなのです。


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